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冨田君のこと

キーボードマガジンの12月号を立ち読みしていたら、大学時代に一緒にバンドをやっていた冨田君が特集にでていた。

冨田君というのは、冨田恵一君のことだ。

大学時代、僕はモダンジャズ研究会にいた。そこのジャズ研は小さいジャズ研なのにとってもすばらしい人材がいて、ミュージシャンとして大活躍をしている人たちが何人もいる。

でも、冨田君はジャズ研ではない。そのころ大学には軽音楽のサークルがいくつかあって、その中の一つのDIGと言うサークルに、僕と緑川君(緑川英徳)はいわば遠征参加をしていたのだが、そこで冨田君とバンドを組んでいたのだ。正式な部員じゃなくてあくまでサポート(ゲスト)みたいな感じで参加していたのだが、学祭やそのほかの活動をちょこちょこしていた。 ポップスやディスコミュージック、フュージョンと言ったジャンルをやっていて、彼はラリーカールトンばりのかっこいいギターを弾いていたのだ。 クルセイダーズやシェリルリンほか、何やったっけなぁ(笑)・・あんまり覚えていないのだけど、いわゆる今ならダンスマンが日本語替え歌で歌っていそうな曲をいっぱいやった。 

卒業後は全く音信はなくなってしまったのだが、しばらくして「Kedge」と言うプロジェクト名でアルバムを出したのを知って早速買ったのを覚えている。 で、その後音楽雑誌をみると時々「冨田恵一」という名前を見かけることがあったので、「へぇ、やっぱりずいぶんと活躍しているのだなぁ」なんて思っていた。

そうしたら、今月のキーボードマガジンで大々的に特集されていたと言う訳だ。

へぇ~、こんなにすごい人になっていたんだぁ~。

僕はもともとフュージョンが大好きなので、冨田君との活動は刺激がいっぱいあってとっても楽しかったのだが、実は、苦い思い出が一つある。苦いというか、今でもふとした弾みで思い出しては「ありゃ申し訳なかったなぁ・・・」と思ってしまうたぐいの物だ。

学生バンドの晴れ舞台と言えば学園祭だ。 当然、冨田君とやっていたバンドも本来所属するサークルDIGで発表のステージがあった。で、僕らが本来所属しているジャズ研でも当然ステージがある。
ある年の学園祭、向こうでもこっちでもステージ演奏をエントリーしていてたら、なんと冨田君とのバンドのステージとジャズ研でのステージのブッキングが全くかぶってしまったのだ。 しかも、冨田バンドがDIGで演奏するのが学祭期間中2回あったのだが、2回ともだ。 DIGは大学の中でもバンド数が多く、もう調整はきかないというので、当時のジャズ研の部長にジャズ研の方を調整してもらうように頼み込んだ。

ところが、一回は何とか調整できて時間を変えることが出来たのだが、2回目の方がなんとも調整がきかなかったのだ。 最大余裕ができて30分。 つまり、ジャズ研のステージが終わってすぐにDIGの方に飛んでいけば、DIGは残り30分のみ演奏時間が残ると言う状態にしかならなかった。 「もう、その30分で演奏を詰め込むしかないなぁ。キーボードのセッティング等は誰かやっておいてね・・・。」ということで、とりあえずみんなは納得をし、後は当日の綱渡りにかけるしかなかった。
でも、だいたいこういう時の綱渡りってうまくいかないもので、当日ジャズ研の進行が押し、後ろ倒しになっていった。

結果、DIGのステージには間に合わなかった。メンバーが二人もかけたままDIGでのステージは終了時間を迎えてしまったのだ。

ちょっと記憶が曖昧なところがあるのだが、かぶったジャズ研側のステージというのはプロコンサートのあとのラストステージだった。 当時は、ジャズ研の目玉の催し物で毎年プロコンサートと名を打ちプロミュージシャンを呼んで集客をかけていたのだ。 で、僕らのステージは、そのプロコンサートの後のステージで、まぁ、あんまりみんなやりたがらない(爆)そりゃそうだ。プロの後の学生の演奏なんて、そりゃぁちんけに聞こえてしまう。
 僕らは?と言えば、そのころは生意気だったわけで、「おまえらしかいないだろう」と先輩におだてられて、プロの後のステージに立ったわけだ。 その年に呼んだプロミュージシャンは、バイブに大井貴司さん、ピアノは佐山雅弘さん、ベースは古野光昭さんだっけな?ドラムは小津雅彦さん(思い出したので書き加えた)と言った巨匠なメンバーだった。

間近でみるプロの演奏というのは素晴らしく、その時のアップライトピアノがじりじりと動き出しはじめるほどの迫力がある佐山さんのカンファメーションのピアノソロ(ほんとにベースもドラムもぴたっと止まってのピアノソロに数コーラス程なったのだ)は、今でも目と耳に焼き付いている。 
僕らも、思いっきりテンションは高くなっていたと思う。

で、その後に僕と緑川君が入ったバンドが出たのだが、もう、僕はそのころ生意気ですから、なんと佐山さんの前で、チックコリアのハンプティダンプティーとかカルテットNo2を演奏するという暴挙にまででた。演奏自体は、その当時勢いだけはあったし、プロの演奏を聴いた直後の異常な高揚感もあり無事終了。 演奏自体のレベルは良くわかんないけど、終了後は虚脱感の中しばらくは呆然としてビールをひたすら飲んでいた。で、はたと気が付くと、DIGの方はとっくに終了している時間であり、「行けなくてごめん」と言った伝令を飛ばすこともなく、ほったらかしのまま、ばっくれてしまう事になった。

僕らがハイテンションな高揚感で演奏している同じ時刻、DIGの方のステージはそれはそれは悲惨だったらしい。
実はその後、どういう経緯だったかは覚えていないのだが、僕らのいないステージの録音をきかせてもらった。

メンバーが二人欠けた状態のまま、彼らはステージに出た。
演奏途中にでも来るだろうとのことで、まずはキーボードに急遽トラを入れてステージをスタートさせたのだ。
ロック系の曲の場合、ボーカルはほとんどキーを変えない。だいたいがオリジナルキーのままで演奏をする。だから、有名な曲だったらトラでも出来ないことはないが、急なトラでは演奏できる曲なんて数が限られてしまう。
数曲終わるが、欠けているメンバーは現れない。

「メンバーがもうすぐ来ると思うので少々お待ちください」
無音・・・・。
「た~むら~・・・・」
「みどり~・・・・」
彼らの悲痛な声がそのまんま録音されている。
そして、しばしのあと。
「時間なので終わりまーす」

いやぁ、冨田君にあわせる顔がなかったですね。

今でも、「もうちょっと何とかならなかったもんかなぁ」と思いつつ、「申し訳なかったなぁ・・・」と思ってしまうのだ。

二十数年前のお話です。

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Comments

あー,なんかいい話というか,切ない話というか。
こんな時代があったのねー

Posted by: meg | 2006.12.03 at 01:16 AM

ね(笑)

でも、冨田君がこんなに活躍しているとは、嬉しくなってしまったよ。

MISIAのエブリシングのアレンジとプロデュースは冨田君だぜ。

Posted by: おさぷ~ | 2006.12.03 at 10:45 AM

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