日曜日
奥さんと娘が映画を見に行く。
「ボルト」 3D映画だし、実は僕もみたかったのだけど、兄ちゃんが「やだ」というので、僕と息子は一緒にみなとみらいに出かけて「海のエジプト展」にいった。

価格相応かどうかはわかんないけど、純粋に面白かったよ。
もっとこの時代の歴史を知っていたら、もっと楽しめたと思うのだけどね(^_^;)
帰りに図録を買って帰る。
夕方帰宅後、急に睡魔に襲われ昼寝。
夜、奥さんが「お好み焼き食べたい」と急に言い出したので、家で作る。
キャベツや粉、豚肉その他を買ってくるも、全部で1000円でおつりが来る。
えらく安上がりな晩ご飯だ。
そんな日でした。
で、今まで日記は書いていなかったけど深井さんに指摘されていたけど、解が見つけられなかったことが一つあった。
何かというと、深井氏曰く「きみはさ、広告のプロフェッショナルだろ? 僕は音楽のプロフェッショナルだ。 でも、僕にもここにあるようなチラシとか作れる事は作れる。でも僕が作るよりも君が作った方がかっこいいものが出来るだろ。 僕は音楽のプロだから、君よりもかっこいいものが出来るんだよ」ってことだ。
それが、プロとアマの差と言う言葉だけで納得するべき事なのか?と思うと、僕としては納得したくなかったわけだ。
なぜかというと、僕は別にコピーライターでもデザイナーでもないし、そういったトレーニングを受けているわけでも勉強をしたわけもはない。でも、広告のことだと、そりゃ、もし深井氏が美術の勉強をしていたとしても「広告」「プロモーション」という観点でのチラシであれば、僕の方がうまく作れる自信はある。
なぜかそう思っているし、たぶん実際にもそうだろう。
じゃぁ、なぜそうなんだろう。
じゃぁそれはプロ=その領域で生活している、アマ=その領域で生活していない、といったステレオタイプな理由なんだろうか? かっこいい音楽をするためには音楽で生活をしなくてはいけないと言うことが必要条件なんだろうか? いや、音楽で生活をしていてもかっこよくない演奏をしている人はいたりするだろう。
ならば、その差はどこにあるのだろう?僕はなぜ、デザイナーでもコピーライターでもないのに深井さんよりもかっこいいチラシが出来るのだろう? 少なくとも、出来ると考えるに至るのだろう。
とその理由を考えてみた。
しばらくわからなかったけど、久しぶりに自分の演奏を聴いててあることに気がついた。
僕がデザイナーでも無いのにかっこいいチラシが出来る理由。
それは、「見る人のことを知っているから」と言う事だ。 マーケティングではコンシューマーインサイト(消費者心理)っていうのだけど、これを意識するかしないかが、ポイントなんだよ。
うまい広告を作るには、「自分がその色や形が好きだから」とか「自分の能力を出すから」とか「自分の技術を出すから」からじゃないんだよね。 広告には作り手の好き嫌いは関係ない。 あくまで主体は広告じゃなくて、商品その物。で、みてもらう人は消費者だ。 しかも、広告を見て「きれいね」って言ってもらっても、これまた関係なくて「買ってもらう」事にならないとなんの意味をなさない。
そういえば、似たような事を強く感じたのが、広告会社で働くようになってから、大学の広告研究会の作品を見たときだ。
イラストや商業デザインを勉強している学生の広告なんかは、それはきれいに仕上がっている。
でも、それは「広告」じゃないと、何とも言われぬ違和感を「広告のプロフェッショナルな僕」は感じた。
勝手な自分だけの思いで作られ、「広告」本来の目的を達成し得ない広告作品(と言われるもの)を見せられたときの違和感。
それなんだ。
たかだか入社1年目とか2年目の時だから、その違和感を感じるのには年齢・経歴・経験なんてのはほとんど関係ない。
そんなことにふと気がついて、音楽に当てはめてみた。
そっか。
自分の好きなように弾くわけじゃない。
自分の技術を披露するために演奏をするわけじゃない。
自分の知識を披露するために演奏をするわけじゃない。
「なるほどー」と気がついて、ようやく「自分の好きに弾きたきゃ、山ん中で弾いてろって!!」って言われたことにようやく繋がった。
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